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めぐろ区報令和7年8月1日号編集後記「戦後80年 目黒区民の戦争体験」
戦後80年 目黒区民の戦争体験
令和7年8月15日、第二次世界大戦の終戦から80年を迎えます。
今の平和な日常からは想像もつかないような日々を過ごしたかたたちがいます。悲惨な戦争を繰り返さないため、戦争体験を次世代へと語り継いでいくことが、戦争を知らない世代が増えた現代において重要なこととなっています。
さて、今号では戦後80年の節目として、目黒区民の戦争体験をインタビュー形式でお届けしました。
お話を伺ったのは、区内にお住まいの臼田禮子さんと齊藤清子さんです。お二人とも、昭和8年生まれで、目黒区で生まれ育ちました。
過去に区が開催した平和記念事業「戦争体験を語る」でご登壇いただいたことをきっかけに、より多くの区民のかたに当時の区の様子や戦争の状況をお伝えしたいと思い、今回、インタビューのオファーをさせていただきました。
臼田禮子(うすだ れいこ)さん
齊藤清子(さいとう きよこ)さん
夜空がだいだい色に染まった日。焼夷弾から逃げ続けた日。
取材時にお会いしてまずびっくりしたのは、お二人ともとてもおしゃれで、元気はつらつとしていたことです。しかしながら、インタビューで伺った戦争体験はとても壮絶なもので、現在のお二人からは想像できないような辛い日々をお過ごしになられていました。
インタビューの中でお二人が共通してお話されていたのは、集団疎開へ行った時のエピソードです。当時、戦争が始まったことを理解していながらも、疎開してすぐの頃は遠足のようなわくわくした気持ちがあったとのこと。
しかし、そんな状況も、疎開先の過酷な環境を経て、一変します。
疎開先で空襲に遭い、着の身着のまま逃げ出したこと。食べるものがなくなって、掘り残されたサツマイモをかじって食べたこと。家族に会いたくて、泣いたこと……
親元を離れ、見知らぬ土地で、空襲と空腹におびえながら生活していた少年少女がいたこと。
二度と戦争という過ちを犯さないために、私たちは心に留めておかなければならないと思います。
貴重なお話を聞かせてくださった臼田さん、齊藤さんに心より感謝申し上げます。
忘れない、平和が消えた日々
戦後80年となり、戦争体験者の話を直接お聞きできることは、少なくなっています。
こうした機会はこれからどんどん少なくなり、いつの日か、遠い過去に起きた歴史の一つとなってしまいます。
戦争の記憶が薄れつつある今、区民のかたへ、平和の尊さや大切さを未来へつないでいくために、区ではさまざまな平和記念事業を行っています。
平和祈念のつどい
平和祈念のつどいは、申込不要でどなたでも参加できます。ぜひご参加ください。
「空襲記 銃後の目黒と疎開した我が子の記録」
めぐろ歴史資料館ミニ企画展「「空襲記」からみる80年前の日々」
令和5年10月、内藤政雄氏(故人)が執筆した「空襲記-末子、政弘に与ふる手紙に寄せて-」をご遺族からめぐろ歴史資料館へ正式に寄贈していただきました。
この記録は原稿用紙160枚に及ぶ戦争体験記録で、アジア・太平洋戦争の状況や銃後の生活、学童集団疎開に行った我が子の様子などが詳細に書きつづられていました。
戦後80年の今年、教育機関やご家庭で平和教育の資料として活用してもらうことを目的に、めぐろ歴史資料館の研究員が「空襲記」と関係資料の翻刻、ご家族へのインタビュー、資料解説・論考をまとめあげ、「空襲記 銃後の目黒と疎開した我が子の記録」として刊行しました。
「空襲記 銃後の目黒と疎開した我が子の記録」
7月19日刊行。めぐろ歴史資料館・総合庁舎本館4階広報広聴課で購入できます。
また、「空襲記 銃後の目黒と疎開した我が子の記録」の刊行にあわせ、めぐろ歴史資料館ではミニ企画展「「空襲記」からみる80年前の日々」も開催しています。
ミニ企画展の様子
「平和とは何か」、いま一度考えてみませんか。
戦後80年を経過し、戦争を体験された方々のお話を聞く機会が減ってきています。
私自身まだ20代ではありますが、今回の特集を担当したことで、平和は、誰かが守ってくれるものではなく、私たち一人一人が守り、育てていかなければならないという思いを強くしました。
読者の皆さんにとっても、この特集が平和について考えるきっかけとなれば幸いです。
そして、若い世代の皆さん、戦争の記憶が遠くなりつつある今だからこそ、私たちが何を受け継ぎ、どう生きていくべきなのかを、考えてみませんか。
その一歩が、未来を変える力になるかもしれません。
ろーれる
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